2022年2月16日

修猷館同窓会誌「菁莪」原稿(令和3年11月10日 随想:『館歌歌詞の変更を考える』)


 修猷館同窓会誌「菁莪」 原稿   令和3年11月10日現在

     随想:『館歌歌詞の変更を考える』    

                          A.K.(S42年卒  一九猷会)   

まずは、標記題名の投稿をご承認いただいた同窓会事務局の大度量に深く感謝申し上げます。

我々修猷館卒業生にとって、心のより所である館歌、その2番の歌詞語句について考えます。

事の発端は、令和2年11月14日、新型コロナが蔓延中に苦心の上、リアルとオンラインのハイブリッド型総会を初導入し、開催された第45回近畿修猷会総会においてでした。
遠路はるばる出席いただいた故K同窓会長、T前館長をご来賓に迎え、出席者全員で、館歌斉唱ならぬ「館歌黙唱」と称し、心の中で歌っていました時でした。
我ら修猷生は、館歌歌詞は暗記しており、通常、歌詞カードは見ないまま声を張り上げて歌っていましたが、初めての黙唱の為、手持無沙汰で、何気なく総会資料の歌詞カードを眺めていると、館歌歌詞2番の語句が「玄界」となっているのに、初めて気が付きました。

その時点では、持参した前年度の総会資料添付歌詞は、従前通り「玄海」を確認したので、今回は、誤記載と自分は早とちりしてしまい、隣席の同期生に次回主催学年は「玄海」に戻すだろうと言って、ご来賓の手前、近畿修猷会総会の中では、館歌歌詞誤記載の指摘発言はしませんでした。

ところが、令和3年の年賀挨拶メールで、同期生から同窓会のホームページでは「玄界」となっていると連絡があり、急いで高校、同窓会のホームページを閲覧すると、両方共に館歌歌詞「玄界」表記を確認できました。

そこで、知り合いの同窓生や関係者に対し、歌詞に関する問い合わせや調査をお願いして、館歌歌詞に関する事実調査をメールを中心にして、令和3年11月迄、11ケ月間継続して行いました。

種々の制約の中で、個人調査の範囲ではありますが、今まであまり知られなかった事実が判明したので、同窓生の皆様にお知らせいたします。

館歌の作詞者は「F」氏で広く知れ渡っていますが、作詞原本はいまだ不明のままです。

大正12年の館歌制定後、歌詞表記にも色々変遷の時代があり、修猷館200年史194ページ記載による大正期の館歌歌詞表記で、現行歌詞と相違する語句については次の通りです。

 二番:青春の血は玄海の
 二番:荒き波穂と湧きたちて
 三番:質朴の風を甘なひつ
 三番:吾等の使命を果さなん   

その後、現行館歌歌詞に変更された時期は不明ですが、私の調査で判明したことは
昭和30年発行正史、昭和31年卒業アルバム、昭和39年學校要紀では、
 二番:青春の血は玄海の
 三番:吾等の使命を果してん と現行歌詞と違う表記です。

次に昭和40年學校要紀では
 二番:青春の血は玄海の と現行歌詞と違う表記です。
 三番:吾等が使命を果してん と現行歌詞と同じ表記に変更を確認しました。

更に昭和53年學校要紀、卒業アルバム、昭和50、55年同窓会会員名簿では
 二番:青春の血は玄海の と現行歌詞と違う表記です。

しかし、昭和53年創刊発行の修猷歌集では
 二番:青春の血は玄界の と現行歌詞と同じ表記に変更を確認しました。

現行の館歌歌詞は、昭和53年創刊発行の「修猷歌集」及び昭和60年発行の修猷館200年史の歌詞表記を高校・同窓会の公式統一見解として、平成13年頃に決定したとのことです。

私の素朴な疑問として、作詞者が明確なのに何故に作詞原本が不明なのか? 作詞原本に近い公的文書でなく、何故に昭和53年発行の修猷歌集と昭和60年発行の200年史の歌詞表示なのか?団塊世代S42年卒の我らが在校中に教えられた二番歌詞語句「玄海」は何だったのか? 次々と私の脳裏に疑問が沸き起こりました。

歌詞原本の歌詞が「玄界」で何らかの事情により「玄海」となり、昭和53年発行の修猷歌集で元に復したのであれば、変遷の流れで理解できますが、修猷館200年史194ページには、大正期の歌詞聞き書きとして、「玄海」表示があり、私の調査範囲では、「玄界」の初出は昭和53年創刊の修猷歌集であり、大正12年制定からの公的館歌資料に玄界表示歌詞は未だ未発見状態です。

別の側面として、言葉の意味から考察すると、広辞苑、日本地名大事典では、「玄海」は玄界灘の略称であり「玄洋」とも称されると記載されています。
一方「玄界」は、辞書に言葉の意味表示はありませんでしたが、「玄」と「界」の漢字の意味として、黒く暗い世界、幽界を表し、英文表記ではBlack&Dark World となります。
玄海と玄界は、発音が同じゲンカイで似たような漢字語句ですが、意味は全く異なる語句です。

東京修猷会2008年総会資料の添付パンフレットに館歌歌詞の解釈があり、2番の・・青春の血は玄海の荒き怒濤と湧き立ちて・・は、「我らの青春の血潮は、玄界灘の荒々しい怒涛のごとく湧き立っている。」と記載されています。

玄界は、地元福岡居住の人間にとっては、玄界灘、玄界島から容易に海をイメージすることが出来ますが、玄海、玄界ともに、発音が同じゲンカイで、勘違いしやすいと私は考えています。
 玄海使用例:玄海町、玄海国定公園、玄海原子力発電所、玄海高等学校、玄海中学校
 玄界使用例:玄界灘(略称は玄海が正)、玄界島、玄界高等学校

館歌歌詞表記の調査においては、同期生他関係者の熱心なご協力の賜物でより明確となりました。
 高校正史では、昭和30年(1955),昭和40年(1965),平成17年(2005)発行分歌詞は「玄海」、
 昭和60年(1985)修猷館200年史のみは「玄界」表記です。

 高校學校要紀では、平成12年迄「玄海」、平成13年より「玄界」表記です。

 高校卒業アルバムでは、平成13年迄「玄海」、平成14年より「玄界」表記です。

 同窓会会員名簿では、平成22年迄「玄海」、平成27年より「玄界」表記です。

 同窓会発行DVD歌集歌詞カード、平成24年発行は「玄界」表記です。

 「玄界」決定理由は不明、決定議事録も不明、同窓誌「菁莪」に歌詞決定関連記事ナシ。

 修猷歌集は平成22年3月1日第11版を同窓会が発行し、歌集の為、著作者達とは契約未締結。

 近畿修猷会総会資料添付歌詞では、令和元年迄「玄海」、令和2年は「玄界」表記です。

 東京修猷会HP:「修猷の歌、楽曲」:shuyu.gr.jp/TAKIMOTO/MUSIC/music1.html は「玄海」表示
       館歌制定90周年記念 「東京修猷会の栞」(無二の会編)H25年発行
       館歌の変遷記事:shuyu.gr.jp/tky/2013/06/s62shiori2013.pdf

 単行本「修猷館200年の青春」巻末歌集、読売新聞昭和61年刊行では「玄界」表記です。

 「名刺広告新聞」毎日新聞平成13年刊行では「玄海」表記です。

以上の事実確認から、調査経過を振り返ると、昭和52年までの「玄海」世代、昭和53年から平成13年までの「玄海」「玄界」混在世代、平成14年以降の「玄界」世代に分けられます。
それぞれの世代で、在校時に教えられた歌詞語句は違うので、考え方も相違すると思います。
今後五十年、百年と続く修猷館の伝統文化を継承する上で、館歌は、大切なよりどころと私は考えます。 作詞者の思いが込められた館歌歌詞原本調査を今後共、微力ながら継続致します。
館歌作詞原本が不明の現状のままでは、上記の事実調査結果を踏まえて、館友読者の皆様が、館歌歌詞を考える材料の一助になれば幸甚です。
修猷館の今後の発展の為に、同期生他の仲間と共に、自分は何をなすべきかを考えています。
上記の館歌歌詞調査は、今後も継続していく所存ですが、個人の力ではあまりにも微力ですので、広く館友読者の皆様のご協力を賜りたく、関係資料の情報ありましたら、お知らせ願います。

又、上記資料に関する質問ご意見についても、メール又は携帯電話にてご連絡ください。

                 以  上

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