☆館歌の2番目の歌詞の中の「玄海」いつの間にか「玄界」に・・・
古い館歌資料を見ると(別紙)館歌が制定された当初は明らかに歌詞の前後の文略からも「玄海」であったと思われます。それが昭和53年の応援歌伝承会編纂による「修猷歌集」で「玄界」に変更されています。これはおそらく当時の歌集製作者の意志ではなく、単純な言葉の変換ミスと思われます。
しかしその後は「玄海」と「玄界」が出版物により不規則に使用されてきたようです。ただ平成13年からは学校の公式資料としては「玄界」の歌詞が使用されてきたというのがその後の経過であります。
歌詞変遷経過資料(館歌歌詞変遷の資料でクリックしてください)
☆修猷館の伝統文化を継承するためにも、原作の「玄海」に
修猷館昭和42年卒の「一九猷会」の提議により修猷館高校、同窓会に質問状を送り、同窓会役員とも話し合いの場を持ちましたが、明確な回答を得ることができませんでした。
ただその中で館長と同窓会伝統伝承会の役員から同窓生の中で変更の機運が盛り上がれば、再検討することもやぶさかでないとの回答をいただきました。
この為今回、館友各位に本来の歌詞「玄海」に戻すべきであるという主張を強く訴えるため『館歌歌詞を考える会』の発足を提案することになりました。
全国の地域修猷会、各学年クラス会、クラブOB会の皆様にも趣旨に賛同の上、ご協力、ご支援をお願いいたします。
令和4年1月吉日 発起人代表 一九猷会会長
【歌詞変更の経緯】
我々修猷館卒業生にとって心のより所である館歌、その2番の歌詞「・・・青春の血は玄海の荒き怒涛と沸き立ちて・・・」の「玄海」の表記が、昭和42年卒業生が在校中のものとは異なり、いつの間にか「玄界」に変更され今日に至っているため、今回疑問を提起しました。
現在、館歌制定時の原本は不明のままですが、大正12年に館歌が初めて制定された際の歌詞は「玄海」であったと推定されます。(修猷館200年史194ページ記載)
その後、昭和53年同窓会の応援歌伝承編纂による「修猷歌集」で「玄海」が玄界」に変更され、それ以降も「修猷館200年史」では「玄界」が「修猷館220年史」では「玄海」が使われるなど、出版物により異なった使われ方がされてきました。
ただ学校の公式資料は、平成13年の「学校要紀」からは、「玄界」に統一され、平成14年から卒業アルバムも同様です。同窓会の5年毎発行の同窓会名簿は平成22年までは「玄海」、平成27年からは「玄界」でありました。
【海、界の字の持つ意味の考察】
玄海・・・玄界灘のことであり、玄界灘は通常、玄海または玄洋とも略称されます。
玄界・・・「玄」と「界」の漢字の意味のみを見れば黒く暗い世界、幽界を意味します。
※注記)「玄」は北を意味しており、したがって玄海というのは九州から見て北海ということになる。玄界灘の用語には「海」の字を使わない。玄界灘は「北との境界をなす海域」の意味だからだ。逆に玄海という場合は灘は付けない。
(※出典:『もしも玄界灘がなかったら:玄界灘の自然と文化』橋詰 信行/著 海鳥社)
「玄海」は、「玄海国定公園」「玄海町」「玄海中学」「玄海原発」などの使用例も多い。同様に「玄界」も「玄界島」「玄界高校」などにも見られます。
【一九猷会の見解】
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