一九猷会会長殿
「館歌歌詞を考える会」の発足趣意書等、有難うございました。
併せて、「菁莪」2022(p30)に掲載されたA.K.館友の投稿文も読ませて頂きました。貴会の提案と活動に対して、敬意と賛意を表します。
昭和29年卒の小生、当然「玄海」として歌い続けてきました。
「玄海」派です。何処かで「玄界」という表記を見た気がしますが、よくある誤記だ、と無視していました。
ところが、今回、貴殿のお手紙で、それが修猷館高校の公的なものであると知った次第です。貴会の活動で、是非、本来の「玄海」へ戻して下さい。期待します。
“Why Not!”“Sure, You Can !” です。
以下、愚見を付記します。
手元の「修猷館200年史」を見ると、修猷の歌には「玄海」「玄界」「玄界灘」の三種類の表記が見られます(「玄南の海」を対象外として)。
「玄海」=「玄界灘」で、「玄界」の「界」は「玄海灘」の海を表す漢字の重複を避けるための「同音の漢字による書き換え」であり、「界」は「海」の代用漢字である、と理解して来ました。
従って、「玄界」単独での使用は、貴説の通り、全く館歌の趣旨に反する愚かな誤用で、単なる誤記では済まされない事例です。
また、辞書に「玄海」はあっても、「玄界」はありません。
ところで、「玄海」の表記は、大正12年制定の館歌より更に古く、明治41年の修猷館卒業生「千人祝賀の歌」に遡るようです。その「千人祝賀の歌」の最後の4行は「・・・修猷館の名を飾れ/修猷館の名をあげよ/祝へもろ人いざ歌え/歌はむ声のあるかぎり/歌のひびきは松原の/ももちの松に風と吹き/玄海かけて鳴りわたれ」とあります(「修猷館200年史」p148)。
F教諭作詞の館歌は、「修猷館200年史」の本文(p194)には当初の歌詞は「青春の血は玄海の」と明記されているにもかかわらず、不可解な事に、巻末(p678)の修猷歌集の館歌は「青春の血は玄界の」となっています。
なお、作詞者・作詞年不明ながら、「百道原頭」にも「怒涛寄せなん玄海の」とあります(p683)。
一方、「玄界」の初出は、館歌より早く、大正4年の「報国寮々歌」のようで、「水や空なる玄界の」とあります。
作詞者は、何と、8年後に館歌を書いたF教諭とされています(同書p177・p679)。
館歌に出てくる「玄界」は、後でこれに合わせたのでしょうか。
また、この不一致は作詞原本の所在不明と関連するのでしょうか。正にミステリーです。
なお、昭和26年卒のK先輩は、作詞した「修猷館200年賛歌」および「燃えよ修猷」の中で、「玄海」の表記を用い、それぞれ「ああ玄海の潮鳴りに」「玄海に猛り湧き立つ」としています(p688)。
「玄界灘」については、「夫れ北筑」(p684)の中に、「玄界灘に波狂い」とあります。余談ですが、「玄界灘」といえば、貴殿が誘致に貢献されたHawksの応援歌(「玄界灘の潮風に」)が思い浮かびます。
こちらも原作に関して「栄光目指し」と「栄光を目指し」の両説あるようですが。
ご活躍を期待します。
2022年2月21日 Y.M (昭和29年卒)
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