2022年5月30日

学年幹事会と意見交換会についての報告(令和4年5月12・19日)

 

学年幹事会(5月12日開催)での本部役員との遣り取りの経過報告

①まず、昭和46年卒のI氏が口火を切って、『菁莪』に掲載された館歌の歌詞が何故変わったのか?経緯を教えて下さいと、質問しました。
②同窓会長からの回答内容の要旨は、
・同窓会へ学校側から「玄海」から「玄界」に統一したとの文章を貰い、館歌の歌詞を決めるのは学校であると考えているので本部役員で話し合って了承した。
・学校側で、十分調査して決めているので、同窓会として議論をすべきではない。
③昭和42年卒S氏が、同窓会会長に質問と要望をした。
・「一九猷会会長が修猷歌集の編集委員であったS29年卒Y先輩から話を聞いた結果、当時館歌の漢字の変更(海→界)などは全く議題に上がったことはなく検討すらされなかった」のに同窓会長からの文書で「玄海」から「玄界」に統一したのは、おかしいのではないかと質問
・当時の編集委員の先輩方(24年卒H・N先輩、17年卒I先輩、30年卒M先輩、 S29年卒S先輩) に会って話を聞いてくださいと要望しました。
・以上の質問と要望を学年幹事会の議事録に必ず残して下さいと依頼
④同窓会長の回答
・53年の「修猷歌集」では議事録もないことも、館歌の歌詞についても議論はされていないことも学校側の調査で聞いているので、当時の編集委員の先輩方 に会って話を聞く必要もないとの回答
・学校側で、十分調査して決めているので、同窓会として調査・議論をすべきではないということを何回も言われた。
⑤S46卒I氏が、この問題に付いて議論検討する小委員会の立ち上げを提案する
⑥同窓会長とS46卒I氏、S42卒S氏との遣り取りがあり、決まった事項
・意見交換会を開催すること(検討する小委員会は拒否された)
・意見交換会のメンバーは小委員会の開催に賛成した12名(S31年卒からS46年卒までの委員のみ)と学年幹事に案内を出すとのこと。
⑦学年幹事会の議事録について議論
・その他の質問でも議事録に残すべきと承認メンバーについての意見をI君が発言
・議事録の承認メンバーは、議長(S56年卒A氏)と副議長(S57年卒T氏)の2名に決める。
⑧発言した学年幹事は、S51年卒Y氏で、「玄海」に戻す必要はないとの発言のみで、応援の学年幹事の発言はありませんでした

意見交換会(5月19日開催)での本部役員との遣り取りの経過報告

意見交換会の開催について(同窓会からの案内文書)

意見交換会での参加者の意見のまとめを作成したので、皆様に報告します。
1.日時:令和4年5月19日17時30分から1時間程度
2.場所:修猷同窓会館
3.参加者:11名

 【学年幹事9名】I氏(S23卒)、S氏(S31卒)、K氏(S40卒)、I氏(S46卒)、A氏(S50卒)、A氏(S56卒)、T氏(S63卒)、S氏(H3卒)、S氏(S42卒)
 【同窓会2名】同窓会長、事務局長
4.館歌歌詞に関する発言内容 
①「玄海」に戻すべきとの発言者(3名)ーーS氏(S31卒)、I氏(S46卒)、S氏明(S42卒)
②「玄海」に変更に反対の発言者(1名)ーー I氏(S23卒)
③学校が決めた「玄界」のままで良いとの発言者(5名)ーー K氏(S40卒)、A氏(S50卒)、A氏(S56卒)、T氏(S63卒)、S氏(H3卒)
④学年幹事の詳細な発言内容
・I氏(S46卒)の発言ーーどのように学校と「歴史伝統伝承委員会」が調査して公式見解を決めたのか知りたいので、委員会のメンバーを教えてほしい。
・I氏(S23卒)の発言ーー旧制中学での館歌歌詞は「玄界」で、絶対に「玄海」に戻すべきでないとの発言。
・A氏(S50卒)の発言
ーー「歴史伝統伝承委員会」の委員で、[DVD修猷歌集」での編集委員とのこと。
ーー「DVD修猷歌集」での編集時に、S53年編集の「修猷歌集」で館歌歌詞の「玄海」が「玄界」に変わったことに気が付き、調査したが、何故変わったか理由は判明しなかった。H教諭(国語担当)が歌詞の検討、校正しているので、「玄界」のままにした。
「現代かなづかい」に改めていないところが判明したので、学校に直すように言って直してもらったとのこと。
・S氏(S42卒)の発言ーーS53年編集の「修猷歌集」での編集委員のS29卒Y先輩の話を聞くべきではないかとK氏(S42卒)が言っているのは、館歌歌詞が「玄界」の荒き怒涛では「玄界灘」の荒き怒涛を意味しないのではないか。
⑤同窓会長の発言内容
・大正12年制定の館歌歌詞は「玄海」であると思う。
・「修猷歌集」では館歌については議論していないと思っているし、議事録がないので変更した理由はわからない。
・館歌の歌詞は大正12年制定から色々と歌詞は変遷している。「現代かなづかい」に改訂したりして時代に合わせているので、学校が統一した歌詞を元に戻す必要はないと役員一同で決めた。
・「修猷歌集」では「玄界」に統一はしていないと思うので、「修猷歌集」の変更理由を調査しても意味ないことと思う。
・館長は、面談の時の「同窓会で盛り上がりがあれば、再検討するにやぶさかでない」の発言 だけを取り上げた「館歌歌詞を考える会」の文書には 非常に迷惑していると言われている。
・今後の常任幹事会、学年幹事会での発言内容は、「一九猷会(S42卒)の中で議論したS42卒同窓生の結論の発言」にして下さいとのこと。(一九猷会会長には以前から言っているとのこと)
5.学年幹事会に関する発言
①意見交換会の案内文書について(意見交換会の案内文書
・I氏(S46卒)の発言ーー案内文書の文章に「その場で学年幹事の皆さんの意向を確認したところ、①②③委員会を設置しての議論のいずれも賛同者は少数で、学年幹事のみなさんにより【否決された】の文章は間違いで、意向の確認で議決は取っていないので、否決の表現はおかしい。
②学年幹事会の議事録について
・I氏(S46卒)の発言ーーその他の項目での発言を議事録に必ず載せて下さい。
・S氏(S42卒)の発言ーーその他の項目での発言も議事録に必ず載せて下さい。
・同窓会長の発言ーー発言の文言は検討して議事録に載せる。
・ K氏(S40卒)の発言ーー議事録はホームページだけでなく、メールで配布してください。

2022年5月29日

S29年卒Y先輩との面談(令和4年3月23日)

 


一九猷会会長からのメールの内容を掲載
 本日(23日)午後1時より修猷同窓会館にて館歌の歌詞表記が「玄海」が「玄界」に変えられて発表された「修猷歌集」の当時の編集者の一員であり「応援歌伝承会」のメンバーであった昭和29年卒のY先輩と、間を取り持ってくれた昭和46年卒で現在私たちの活動に熱心に協力してくれているIさんと二人でお会いしてお話を聞くことができました。
 Iさんからの依頼を受けてご自身で調べられたA4用紙9枚にわたるメモを持参されて「修猷歌集」編纂時の話を聞くことができました。86歳の御高齢でありますが実にしっかりとされて御自宅の室見から西新の同窓会館まで自転車でお出でになっていました。
 まずこの修猷歌集は当時の応援歌が先輩から後輩(現役学生)への口伝えで伝わっていたため正確な歌詞、楽譜にして後世に残そうと「応援歌伝承会」が中心となり、「館歌巻頭言」(毎年の総会の折に 先輩のどなたかが館歌斉唱の前に発声される)の作者である昭和2年卒のT先輩を委員長とし編集委員会が発足した。
 報国寮寮歌を始め今ではあまり歌われないような多くの応援歌が編纂されたが修猷歌集であれば館歌をまず第一に載せないわけにはいけないと、国歌に続いて館歌を掲載したが館歌の歌詞に関しては全く検討、議論することはなかったそうです。
 この時に歌集の館歌について解釈がつけられたが、その原稿(ゲラ)と思われるプリントには下半分に館歌の解釈文(問題の玄海のところは・・我らの青春の血は玄界灘の荒々しい怒涛のごとく湧き立っている・・・との解説)、上半分に歌詞が印刷されているが、それが「玄界」になっている。
 編集委員会でそれまで全く歌詞の漢字変更など問題になることなかったし、解釈文の「玄界灘の荒々しい・・」と言う文章から書きおろしたT先輩が思わず流れで「玄界」と記してしまったのか又は印刷所の誤植なのかは全く分からないと。(自分らもわからなかった。気が付かなかった)
 過去の修猷館の印刷物を調べれば昭和17年卒業記念誌では館歌の「青春の血は」が「青春の地」になっていたり、昭和29年卒の卒業アルバムには館歌の「館友」が「館有」になっていたりと結構あったみたいです。
 はっきりしているのは当時修猷歌集を編纂する際に「玄海」を「玄界」に変えようとかの話は全くなかったということ。このことは現存の当時編集委員であった昭和24年卒のT先輩、N先輩、昭和17年卒のI先輩、昭和30年卒のM先輩らに電話で確認したが皆そんな話は全くなかったとのことであったと。
 このことに関しては私共が同窓会長から受け取った返書では「昭和53年に伝承委員会において検討された上で「玄界」と統一された」と記されていますが、全くそうではない、何かの理由、意図をもって変えられたものではないことが明らかになりました。
 又返書には原本と思われる大正期の歌詞(修猷200年史 196ページ記載)から5か所の変更があり(荒き穂波が怒涛に。質朴の風を甘なひつがきたえつつに、吾等の使命を果たさなんが吾等が使命を果たしてん等) この「玄界」だけを問題視するのはいかがなものか?との話もありましたが、他の部分の変更はこの歌集が編纂される相当以前、おそらく結城先輩が入学以前なので昭和10年代ではないかとの話であったが、それはそれで十分検討された上で変更されたものである。「玄界」問題とは別であると。
 その後伝承会は先輩から後輩への口伝て(口づて)で音符について必ずしも忠実でないところもあったので、正しい音源として確立したものを残そうとDVD製作委員会発足して、昭和41年卒の東京芸大卒のテノール歌手M先輩をリーダーに吹奏楽部や合唱部等総動員でDVDが完成した。その歌詞は先に完成した修猷歌集を基に「玄界」になっているが、あくまでも音の世界中心の活動であったので字句にはあまり気にすることはなかったと。
とにかく学校、同窓会側がしきりに「当時の伝承委員会がいろいろ検討した上で決まったこと」と言う言い訳けは完全に覆された感じでした。それだけで大きな成果であったと思います。
 尚 三番の歌詞の・・質朴の風きたえつつ・・の「きたえ」が「きたへ」と混在していることとと、やはり最後の「果してん」と記されているのが正確には「果たしてん」、「た」が入るのが正解であると。の指摘もありました。
 そして「玄界」の意味に関して一字ずつの意味を合わせて解釈する(暗い世界、幽界と)のはいかがなものか?とのご意見もいただきました。それだったら「玄人」(くろうと)はどう説明するのか?素人の対義語で技芸などその道に熟達した人、専門家のことであり、黒い、暗い人ではないと。
以上ご報告まで。

同窓会誌「菁莪」原稿の投稿について(続報令和3年11月24日)

 



AK君から下記内容のメールが来ました

一九猷会長 関係各位

いつもお世話様です。
高校は、平成13年決定説明を翻し、同窓会事務局に同調してきました。
これ以上抵抗しても同窓会事務局に都合の良い事項を更に見つけて修正を要求してきますので、不本意ながら受諾せざるを得ないと思います。
精一杯の皮肉を込めた受諾メールを返信いたしたいと思います。

同窓会誌「菁莪」原稿同窓会案承諾連絡のメール内容

修猷館同窓会事務局 御中
福岡県立修猷館高等学校 館長殿  関係各位
  
いつもお世話様になっております。
何度もメールのやりとりでお手数をかけております。
同窓会事務局にて高校の館長、I先生に公式統一確認を取ったとのことで、私の説明発言調査不足となり、高校側にご迷惑をかけました。お詫び申し上げます。
昭和56年卒の館長、I先生は、同窓会の言う「玄界」世代にも拘らず、玄海・玄界混在世代と私の修正原稿に記載してしまい、大変失礼致しました。
M編集長さんも、私の原稿の変更が連続し、お手数をおかけいたしました。
編集締切期限もあると存じますので、下記同窓会案にて菁莪記載お願い申し上げます。 
今後も、作詞原本の調査、高校・同窓会が統一公式見解という昭和53年11月の統一決定者並びに未だ同窓会も調査中という「玄界」決定の理由を私なりに調査継続します。
私と同期生が館歌歌詞変更を考えるについて、東京修猷会の常任幹事会、近畿修猷会の幹事会において、事実経過と歌詞語句の意味を説明し、広く館友に考えてもらうよう表明いたしましたので、今後、意見が続出すると思われますのでよろしくご高配願います。
  令和3年11月24日 

同窓会誌『菁莪』原稿掲載拒否の通知(令和3年11月6日)

 


AK君から下記内容のメールが来ました

一九猷会長 関係各位 
いつもお世話様です。同窓会より原稿掲載拒否の通知がありました。
不本意ではありますが、同窓誌「菁莪」掲載の為、妥協して同窓会指示に従わざるを得ないと判断し、原稿書き直しを致します。 
 令和3年11月6日

修猷同窓会から原稿掲載拒否の通知のメール内容

AK 様

同窓会誌『菁莪』への掲載希望原稿を受領し、菁莪編集委員会と同窓会事務局で確認させていただきました。
結果、下記の理由により、現在の内容では掲載できないと判断しています。
 ・今回お願いしているのは「随想」であり、ご自身が調べて分かったことや考えたことを述べるにとどめて下さい。
 自分の考えが正しいことを前提に、読者に対して「〜すべきである」「賛同者を募る」といった文章形式では採用できません。
 また同窓会事務局や学校とのやり取りを記述することは控えて下さい。
 どうしても自分の考えに沿うような形で相手の発言や文章を解釈、切り取りしがちです。
 ご自身の調査結果と考えを述べ、評価や判断は読者に委ねて下さい。
 以上を踏まえ、対応をご検討下さい。よろしくお願いします。
   同窓会事務局
   菁莪編集委員会

同窓会長名歌詞表記回答文書に対する反論(令和3年8月18日)

 

同窓会長名歌詞表記回答文書に対する反論       

反論の前提として、歌詞原本は「玄海」表示で制定当初から継続して使用
回答は現行「玄界」の後付け理由説明書にしか過ぎない暴論で作詞者を冒涜している。

1、前提説明の「館歌は歌詞を含めて高校が権限者」は間違いで、
  制定者でしかない。歌詞変更の権限者は、作詞者=著作権者であり、
  高校が歌詞原本を変更すると作詞者=高校にしなければならないし、
  作詞者表示も高校となります。

2、公式見解の高校と同窓会は「ゲンカイ」表記を統一という名目で変更する
  権限はなく、あくまで作詞者の原本表記を調査し確認行為をするだけが
  役目です。  

3、昭和53年の修猷歌集の表記が「玄界」をもって変更したのであれば、作詞者、
  校閲者、再閲者を削除したうえで、玄界表示の新作詞者名を記載すべきです。
  後記にあるH氏・S氏共作作詞の表示であれば、理解はできます。
  しかし、歌詞の大部分は原作者の歌詞を使用しており、原作者の了解を
  取らないと盗作の疑いも持たれます。

4、 修猷歌集「玄界」表示をもって統一されたと説明しているが、修猷歌集以前に
  表記の公式記録を明示しないと、昭和53年に「玄界」新規作成としか判断
  されない。統一したと主張するのであれば、高校・同窓会の周知文書を
  公開明示すべきである。

5、「修猷館二百年史」を正史として扱い「玄界」表示しているとしているが、
  他の正史 昭和30年、昭和40年並びに直近平成17年発行の表示は
  全て「玄海」であり、何故 200年史のみの「玄界」を正とするのか
  理解できず、玄界への統一理由も記載してない。「玄界」公式見解ならば、
  他の正史の歌詞訂正文書は寡聞にして、見ていません。
  歌詞統一周知文書を発行しているのであれば、公開明示すべきである。

6、修猷歌集の版権所有は財団法人修猷協会とありますが、作詞者との承諾契約は
  されているのか疑問です。又版権取得の文化庁への申請・取得手続きについて
  内容不明です。契約・権利が正当である証明をしていただきたいものです。

7、個人調査途中ですが、大正12年の館歌歌詞制定から昭和53年まで
  公式文書では、「玄海」表示のみなのに、何故不吉な言葉を連想させる
  「玄界」に変更する理由が、皆目、見当がつきませんので、
  明快な説明をしていただきたい。

  以  上