一九猷会会長からのメールの内容を掲載
令和4年3月8日、O君と共に同窓会長と面談してきました。
予想通りというか「学校側が修猷歌集を編纂する際に当時の先生方が十分協議して決めた結果で この数十年「玄界」で通してきたのでそれが正解である。学校も変更する気はないと言っている」と。
会長自身は原本は間違いなく「玄海」であったろうと考えるが時代の流れで「玄界」の使われ方も「玄界高校」とか幅広い意味合いで使われるようになったのでそれで玄界灘を想起させるからいいのではないか、また「玄界」の意味が幽界を表すなんて言うと玄界高校に失礼だとか・・・。
また大正12年に制定された歌詞が5か所の変更があり(海→界も含めて)1か所のみ戻すのはおかしいだろう・・?!とのこと。大正12年に制定後変更があったことは我々も承知していることですが(‥青春の血は玄海の荒き穂波と湧き立ちて、質朴の風を甘なひつ・・我らの使命を→我らが・・など)
それは時代の流れにそって至極当然と言えば当然でそれも「玄海」が「玄界」に変えられる相当以前のことです。
そして荒き怒涛と湧き立ちてに続く言葉としてあえて「海」から「界」に変える必然性があったのか、昭和53年に修猷歌集編纂の折に検討された方々から「海」を「界」に変えたという証拠、文章文言が何かあるか?との問いには以前からの学校側との回答と同じく「全くそのようなものはないけど当時の先生方がしっかり検討された結果であると聞いている」との以前の返答文と変わらぬ答えで全くかみ合いませんでした。
だから私たちの主張のように「いつの間にか変えられたわけではない、決して誤植ではない」と。
そして とにかく私たちはこの件に関して学校や同窓会と対峙して戦うような気持ではなく同窓生の一員としてもう一度同窓生に問題提議して、議論し考えていただきたいという思いであると申しましたら 今更それをやったら必ず意見が二分されて大事になる、常任幹事会や学年幹事会の議題に上げて議論を起こすつもりはないとはっきり言われました。
またこの件で館長とも話したが、館長は「自分の話した意図が都合よく一部だけ切り取って記されていると非常に怒ってましたよ!」と。
館長と面談には一人では誤解が生まれてはいけないとS君に同伴してもらってましたから、穏やかな雰囲気で1時間ほど話し合い、私は間違った報告はしていないつもりですが。
そして42年卒の私たちに3度の返答書を送ったことで説明は十分果たしたつもりである、他の学年の常任幹事、学年幹事さんらに説明することはないと、あくまでもターゲットは42年卒だけのような感じでした。
同窓会は修猷館の現役学生が気持ちよく学べるようにバックアップするのが一番の役目だからこのような問題で同窓会がとやかく言うものではないとの話もされました。
もちろん当然の話です。
しかし修猷山脈に連なる修猷館の伝統文化を繋いでいく同窓会の役目もあるわけで、今後しぶとく幅広い学年の皆さんに訴え賛同を得る努力をすることで「42年卒の一部のうるさ型連中のたわごと」のような言われ方をされぬよう対策を検討する必要があると感じました。
同窓会本部としても、我々も同窓生の一員なのですから、その一同窓生の提議にまずは素直に耳を傾け、幅広い同窓生の意見を聞き、まじめに議論した上でその結果を学校側に伝えていただきたい。
その上で最終結論を学校が出されるならそれに従わざるを得ないと考えております。
ところが今回のように最初から提議、提案書配布拒否といった常任幹事長の独断、我々に対する喧嘩腰の姿勢では「質実剛健、自由闊達」の修猷館はどこに行ったのだろうという感じでいっぱいです。
明日3月度の常任幹事会が開催されますが(先月はコロナで中止でした)、今回はとりあえず流れ、雰囲気を見ることに留めたいと思ってます。
又 近々考える会の発起人会議を開く予定ですのでその際はよろしくお願いします。
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